私が野良猫スペシャリストになった理由 『野良猫物語』~幼少期編~

こんばんは、花を以って毒を制す!パワー注入系カウンセラーikukaです。

今日は、自他ともに認める野良猫スペシャリストの私の~幼少期編~をご紹介します。


前回は私の誕生編を見て頂きましたが、
冷静に投稿を見て、
「我が家は、私が生まれた頃から父母の夫婦関係が破綻していた家庭((+_+))だったんだね」と改めて感じました。

今更ですが、

変な関係性~(笑)

私の性格だと、

「そんな関係だったら頑張って自立して、働いて別れた方がいいのに。自分の人生を生きたい💜」と思うのですが、
うちの母は無理でした!

何せ祖母と”超超癒着関係”でしたから。
心理学でお馴染みの癒着も実生活で学んでいる私💦


何かあれば実家に泣きついて帰っては被害者意識を増幅させ、また元さやに納まって婚姻関係を続けるのが定番で、
自分の意志で何か行動をするって事が怖くてなかったんですよね。
私が親友だったら、もう少し人生の方向性を変えてあげられたかも、、、
今は、癒着相手が私に代わって何でも聞いて来るのが困り事なんですが、心理学を学んだ私はそう簡単には依存をさせないので、距離をしっかり取って自立してもらう方向で動いています。

複雑な想いがあってもやはり大事にしたい親ですし、私は大人でありたいと思っています。
許しの段階に徐々に入りましたのでご安心ください。



「こんな我が家の『恥』を暴露していいのか?」と以前までは悩んで一人抱え込んでいたのですが、
人生も折り返し地点に入ってきて、ずっと辛かったこの想いをアウトプットする最後のチャンスだと感じ、今は吐き出す方向に気持ちがあります。
お弟子さん制度の挑戦も、負の感情をもういい加減に手放したかったのかも知れません!

事実、心理学の勉強によって
”感情を吐き出すと楽になる”事も分かったので、この先は記憶に残っている部分はどんどん出していくつもりでいます。


とは言うものの、
一番胸を締め付けられる記憶は、幼少期(幼稚園から中学1年生くらい)に体験した事ではあります。


暴力のシーンとか怒鳴っているシーンって、体験した人にしかわからない事なのですが、
ある一部分を直近で見た事の様に本当に鮮明に覚えているものなんですよね。
スパッと抜けている部分もあるのですが、そこは心理的にはかなりショックを受けていると思います。
これを癒すのって、やっぱり時間がかかって当然だと思います。
もし同じように不仲な両親の元に生まれてしまった方は、焦らずにアウトプットしていって徐々に癒して欲しいと思っています。


もちろん、野良猫に十分に気を付けながらですよ(;”∀”)(なぜか木天蓼化するんでね)

それでは、今日はマタタビの話ではなく、
野良猫の父が”一番凶暴で荒くれものだった幼少期編”にお付き合いをお願いします。

目次

野良猫の父は社会の荒波に揉まれた分だけ荒れて、そして部屋に閉じこもる凶暴猫!

私が幼稚園に通う頃、
父の仕事は絶好調に忙しく、稼ぎも結構良かったのだと思う。

得意先でお酒や麻雀にゴルフに誘われる毎日で、公私ともに脂が乗っていたのか毎日午前様は当たり前だった。
ヘビースモーカーで大酒飲み、ゴルフ会員権をいくつも持ってラウンドしまくるのが、当時のステータスだったのかも知れません。


私と年子の弟は教育熱心な私立幼稚園に通っていて、大人しい母は不慣れな行事やお付き合いに忙しかったと思うけど、
父は構っても手伝ってもくれなかった様で、私の記憶の中でも父が運動会に1回来てくれた事だけが鮮明でとても嬉しかった事を覚えている。


毎日のように午前様の父は、
ストレス発散するかの如く泥酔で帰ってくるのだが、当時住んでいた家の階段を上がる足音で私達はすぐ気づいてしまっていた。

「ドタッ、ドタッ、ドタッ」

千鳥足で大きくよろけるから音もとても大きくて、その音は深夜の静寂に響き渡っていた様に思う。

「帰ったぞー」

と大声でドアを開けた瞬間、一緒に寝ていた母の体がビクッと大きく動き緊張感が伝わるのだが、
私はいつのまにか寝たふりが上手になり、逃げるにはこの方法が良いと本能的にわかっていたのかも知れない。
目をつぶったまま、大人二人の会話をじっと聞いているような幼稚園児でした。

そこからすぐ、父は私たちの寝ている部屋に来るのだけど、ドアが開き暗闇がパッと明るくなって恐ろしい父親の顔が徐々に浮かび上がるの事が、幼心にはホラー映画の様に恐怖だったと思います。



父は、くだを巻いてみたり「なぜ先に寝ているのか」と問いただしてみたり、それはそれはしつこく絡んできて、母は嫌がって言い返している時もあったように思う。
無視すればそれはそれで怒りを買うだろうし、扱いは難しかっただろうなとこの年になるとわかる気がします。

その時、
父が不機嫌であれば「何を言ってるんや」と言って物を投げたりするし、たまに足や手も出ていたと思うけど、
子供に直接それが向けられる事はなく、良いのか悪いのかは別として、とにかく母が攻撃対象だったと思う。
私が父親から殴られたのは中学生が初めてで、後はとにかく大声で怒鳴られているか無視される事がとても多かった。

そして、特徴的だったのが自分の部屋への引きこもりだ。
疲れているのか、帰宅すると自室に入っては引きこもり鍵をかけてしまう。
辛い事や嫌な事があると家族と関われないのか、弱い自分を隠したかったのか、他界する数年前までこの癖は治る事がなかった。


幼稚園や小学生の遊びたい盛りの私や弟は、父の部屋によく行っってドアを何度も叩いたけど入れてもらえず、
「私が近くに寄っても父は近づけてもくれないし話もしてくれない、嫌いなんだ。入れてもくれないんだね」という、哀しい刷り込みがこの時にされる事になってしまう。

⤵はーい、ここで注~目~~💖(妙に明るい現在)
「この父親って動物で言うと何ですか。」
もうお分かりですよね、『質の悪い凶暴野良猫です』(汗)

『これが男というものだ』という刷り込みがされた結果なのか、
辛い事に40歳代前半までの『お花』に出会うまでの私は、
”近づくとシャッターを突然降ろしちゃう男性”
”女性のみに妙に冷たい男性”
”異様に自分の世界に浸るけど繊細な男性”→まさに父親
“話しかけても無視する自分勝手な男性”が身近に多く近づいてくるので、
恐ろしい引き寄せを感じる事になるのであーる!
(この野良猫ちゃんと嫌な別れ方をしているかと言えば負傷は私だけだと思うので、今は関係性が悪くない方もいます)

「はい、皆さんで『くわばらくわばら!!!』」

幼少期の話はなかなかheavyなんですが、ネタとしては色々あるので次回につづく!にしようと思います。


今夜もお付き合いを有難うございました。
野良猫ペシャリストの異名を持つ、若い頃の父は凶暴野良猫だったikukaでした。
皆さまの幸せを願っております。LOVE💖

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