私が野良猫スペシャリストになった理由 『野良猫物語』~続幼少期編~

こんばんは、花を以って毒を制す!パワー注入系カウンセラーikukaです。

今日も、自他ともに認める野良猫スペシャリストの私の~続幼少期編~をご紹介します。

自分の人生と家族の振り返りは、私が受講しているお弟子さん制度の課題に出されたものです。
最初、この振り返りがキツ過ぎて、涙を流しては具合が悪くなった時もありました。
頭では処理してきた感情のつもりが、心の方が全然追いついていなくて ”感情が揺さぶられまくった” 時期ではあります。

特に幼少期には思い出したくない事が溢れています。
幼少期、私は誕生日が大嫌いでした!


みんなお祝いされる誕生日が好きだと思いますが、
うちの両親は私の小学校1年の誕生日に大喧嘩をし、お祝いのパーティーを放棄しぶち壊してしまったのです。
(勿論、両親はそんな事は覚えてもいませんでしたが😢)
自身が親になった今だと考えられない事なのですが、それをやってのけてしまうのが大人になりきれない私の両親でありました。


今日はちょっと悲しくもある、小学校1年生の涙の誕生日についてお付き合い下さい。

結構しんどくなるかも知れないので、暗い話題が苦手な方はスルーして下さい。
ただ、このような経験は確実に将来の人間関係や恋愛関係にも響いてきますので、思い当たるフシがある方はぜひご覧になってください。
何かヒントを得られると思いますし、癒しやカウンセリングの重要性にも気づいてもらえるかと思います。

こんな事を何度も何度も乗り越えて今の私が存在するので、真実のikukaを知って頂けるとも思いますので、
見て頂けると幸いです💖

目次

誕生日なんて大っ嫌い!小学校1年生の孤独で寂しいバースデイ

しょっぱらから真っ暗闇を爆走しますが(笑)


小学校一年生の9月の誕生日、私は部屋の片隅で膝を抱えて泣いていました。
カーテンを閉め、一人泣きじゃくっていました。
そんな私を誰も助けには来てくれませんでした!
今もケーキをみた瞬間、外には出さないですがこの光景が思い出されてしまう時があります。


両親が夕方に大喧嘩をして言い合いをし、その後また無視の期間に突入してしまい、
バースデーどころではなくなったのが理由でした。

私には一つ年下の弟がいますが、その弟がどう過ごしていたのかは全く覚えていないぐらい、ショックな出来事でした。
自分の感情の処理に精一杯で、家庭では弟の面倒をみてあげるところまで気が回らなかったのです。
きっと弟も傷ついていたのだと思いますが、弟はそんな事は一切覚えていない様です。
(感情をあまり感じないような、無関心側に回ってしまったからだと思います)
外にいくと弟を守る強いお姉ちゃんの力を発揮していたのですが、自宅では自分の辛さと闘う事が精いっぱいだったかも知れません。

私はいつも他のお友達と自分を比較して、嫌な気分になっている子供でした。
(だから、大人になっても比較に苦しみました!)

「家族でプールに行ってきた」「旅行に行ってきたよ」「誕生日にお祝いしてもらって〇〇を買ってもらったんだ」
嬉しそうな話を聞く度に、
「何で自分の両親はこんな人達なんだろう。交換できないのかな」と小さな胸が張り裂けそうになり、友達を羨む気持ちがいっぱいの幼少期でした。

勿論、両親にも良心はあって本当は優しさや愛情もあるので、気分の良い時や仲の良い時には外食に連れて行ってくれるし褒めてくれるのですが、
この気分のムラも曲者で、子供はその感情に振り回されて空気を読んでしまう様になる訳です。
(これは自分軸の欠如に繋がり、振り回される事が当たり前でマイペースになれなかった部分に繋がっていると、分析をしています)

私はもっと家で話たり温かい団らんに憧れがあり、普通の生活が何よりもしたかったのかも知れません。
今も、ごく普通の家庭としっかりした男らしい旦那様についていき、ごく普通の暮らしがしたいと思っている人間ではあります。意外でしょうが、、、、、
本来は犠牲的でなければ尽くす事も家庭的でいる事も、実は内助の功だって苦痛ではない女性だとは思います。
アピールではありませんので、、、、、。
要はバランスですよね!


で、この悲しい誕生日
私には大きなトラウマになりました。


「愛されてないのだ」という想いが植えつけられ、「両親に愛してもらえないのは自分が悪い子だからだ。もっと自分が頑張って優秀で褒められ続けなければ、振り向いてもらえないんだ」と思い、代表委員会をやってみたり、卒業式に生徒代表として作文を読んでみたり、表彰状を貰う事とか目立つ事ばかりに執着していたと思います。
「完璧とは何か」、「なんでも器用にできる自分でなければ」というプレッシャーを、幼いながらも自分に掛ける事になったと思います。
独りで深く深く色々考えこむ癖もこの辺りから始まってるのかなと思う時があります。

自分で言うのもなんですが、
中学生になるまでは不安定な家庭環境の割には勉強はきちんとしていた方だと思いますし、6年間誰にも家庭の不和を気づかれなかったので、演じるのはうまかったと思います。
女優IKUKAはこのおかげ 笑


しかし、いくら先生に褒められて表彰されても、代表委員会に選ばれても、リレー大会に出ても、両親は変わらない訳です。

「私はどうしたら好かれるのだろう」「ずっとずっといい子でいるしかないのかも」と、結局こんな事ばかりに気を遣う人間になってしまうのです。

大人になって、若い頃の私は男性に気を遣い続け尽くす事でしか好かれない、と勘違いしていた部分がありました。
男性に限らず、女性に対してもでそうで、本心や様々な感情を押し殺して生きていました。

20代は全力で男性を愛するから気づけば疲れ切っており、恋愛至上主義者になってしまっていたかも知れません。
30代後半にも実は大恋愛というか、両思いだろうという恋愛をしてはいたのですが、知っている人は親友一人ぐらいです。
大切な恋愛は人には決して打ち明けず、ずっと温めるタイプです。
その時のお相手は駆け引きが楽しそうなのに、私は相手とのゲーム感覚のやりとりがしんどくなってしまい、愛が離れて行く事も怖く犠牲的に尽くす事はしたくなかったので、別れを選んだという事がありました。


20代前半には、尽くした分だけ返してくれる男性との出会いがあったのですが、あまりにも理想的でカッコ良過ぎて、
夢心地の毎日でした。
すべてが好みだったので執着してしまい、迷惑を掛けてしまった覚えがあります。
結局、好き同士だけど泣きながら別れる羽目になり、彼との別れで私は数年間ショックを引きずってしまう事になります。
今となっては子供だった私に真の愛を教えてくれた男性ですし、良い思い出なのですが、30代前半までは彼を超えられる人がいなくて結構苦労をしました。
私に気づく事はないでしょうが、もし見てくれていれば「有難う」と「ごめんなさい」を一番に伝えたい相手ではありますし、幸せをいつも祈っています。

そんなこんなで続幼少期編の私もなかなか厳しくて、大人になる過程でも色々と影響を与えた事を知って頂きました。


私は決して恋多き女性ではなく、心底好きになるのは僅かで愛情が深くなってしまうタイプです。
しかし、引き寄せる力がやけに強いのか、出会いだけは沢山ありました。(遠い目)
でも、やはり何故か不幸な巡りあわせが続くのは、この『尽くす』という部分に反応するお相手が招集されてきていたのかな?とも感じています。
誤解されたくないので敢えて書きますが、私は『一途』ですし自分の事を知ってくれて友達の様に話せ、ある時は同志であり男女であり、恋人でもあり夫婦でもあるという関係性が理想です。
甘いだけが恋愛であるとも思っていませんし、苦しい時に助け合ってこその愛だと思っています。



決して気が多い訳ではないのに、野良猫集団に囲まれた過去がある事は運命の悪戯であると思っています。
こんな悪戯は本当に不要ですよね。
今、同じような悪戯にお困りの方は、良かったらご相談下さいね。
一緒に癒して解決をしていきましょう。



それでは、
今夜も、訪問を有難うございました。
野良猫スペシャリストの異名を持つ、一途な女のikukaでした。
皆さまの幸せを願っております。LOVE💖

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